月影杏葉つきかげぎょうよう

浄土宗紋

皇室菊紋

「国豊民安」の勅願所として使用を許可される

徳川家・三葉葵

浄土宗は徳川菩提所として使用を許可される

浄土宗(旧)名越派総本山「圓通寺」

西流する大羽川は小貝川に合流する手前、大沢と呼ばれる肥沃な低地帯を形成している。この大羽川左岸、大沢の地に所在するのが名刹円通寺である。円通寺は応永9年(1402)良栄上人開基の浄土宗名越派の総本山であり、学問寺としても栄えた。すなわち、上人は名越派の教義を講義・布教するために、大沢文庫(学問所) を設置したのである。このため多くの学僧が円通寺で学ぶことになるのである。

 
 

圓通寺のあゆみ

良栄上人傳(pdf) ※以下、内容を記載しております。

当山は、かつて諸国に五百八ヵ寺と称する末寺をもち、江戸時代には十万石の格式をもって幕府に遇された寺院です。八万坪の広大な浄域には、壮麗な七堂伽藍と三十八宇の学寮が豊をならべて林立し、大沢文庫としてその名が全国に知られ、学を志す若い人たちが続々と螺集し、「名越檀林」として盛観を讃えられた名刹であります。

歴史の流れとともに、衰亡荒廃の一途をたどり、一時は「廃寺」の押されようとしましたが、歴代の師たちによる営々努力の末、昭和23年12月25日には、「名越大本山」号の認証を京都総本山知恩院門跡岸信広猊下から受けることができました。

以後、20年以上もの年月を経て、檀信徒のご協力のもとに、全山の環境整備から大殿の修覆、内陣諸荘厳の整備、大書院、庫裡、旧国宝の表門、通用門、県文化財の一切経堂の改修、観音堂の移転加築、寺務所の新築、大庭園の造成、参道、石段ならびに塀の修築、町水道の誘致、防火貯水大池、参詣者休憩所、納骨堂、開山上人廟ならびに歴代上人墓地、学頭墓地などの新築、改築により、現在の形に至りました。

先々代の住職「大島彦信」が、今までの圓通寺の歴史を研究し、まとめあげたものが本書「名越大本山 圓通寺開山 良栄上人傳」になります。